なぜ大学院で研究しようと思ったか
大学院に入学する10年程前、私は企業の経理・財務部門でマネジャーとして職務に邁進していました。ちょうどその頃、会社はある意味過渡期で、会社組織が非常に混乱しており、何とか自分なりに頑張ってはみたものの、体調を崩してしまい、一ヶ月の休職を余儀なくされたのです。幸い体調は回復し、職場に復帰したものの、組織運営の難しさを痛感するとともに、それまで長時間労働等のハードワークを何とも思っていなかった自分に「なぜ、こんな辛い思いまでして働かなければならないのだろうか」という思いが残ったのです。そして、その数年後、その答えを大学院に求めたのか、現実逃避先として大学院進学を決めたのか、今となっては定かではありませんが、大学院の受験を決めたのです。
どのようなテーマで研究をしたか
正直、大学院の受験を決めた当時は明確な研究テーマはありませんでした。漠然と「組織論」とか「マネジメント」をキーワードとした、なんとなく「モヤモヤ」とした問題意識はあったものの、受験するには2年間で論文を書く前提で研究計画書を作成しなければなりません。何とか、その分野の書籍と自らの社会人経験を交えて作成しましたが、今から考えればそれは研究計画書とよべるレベルではなかった気がします。面接の際の試験官の方からの言葉が忘れられません。「研究計画書にある参考文献は自己啓発、教科書レベルのものです」。要は2年間で論文を書けるだけの深堀りされたテーマではなかったということです。
その「モヤモヤ」からテーマが明確になったのは、課題研究プログラムで合格して最初に受講した、金房先生の生産システム論と、課題研究プログラムでの指導教員であった結城先生の政治経済学に触れてからでした。生産システム論で読んだ『熟練・分業と生産システムの進化』(坂本清2017)という400頁以上の骨太の研究書と、政治経済学で読んだ、マルクス経済学による経済原論の教科書である『経済原論』(小幡道昭2009)に影響を受け、「労働」をテーマに「『労働の人間化』から『ディーセント・ワーク』へ‐『人間らしい労働』は進化しているか‐」という題目で課題研究レポートを書きました。さらに資本主義における「労働」をテーマに研究し、論文を書きたいと思い、再度、受験し直し、修士論文作成プログラムへ再入学しました。
どのように研究が進んだか
「労働における自律性」を研究テーマとして、当初は裁量労働制や自発的な長時間労働を具体的な例として、まずは先行研究を収集し、それらを丹念に読み込んでいきました。やはり研究の基本は、先行研究を丹念に読み込み、整理することであると思います。そこから問題点を指摘するだけでも十分にオリジナリティのある研究になるのではないでしょうか。
また、経済原論での労働に関する理論の論文も授業と並行して読み込んでいきました。特に理論の論文は非常に難解で苦労しましたが、何回も読み、また期間をあけて読むことで何とか自分なりに理解することはできましたが、やはり理解できないものもありました。しかし、それはそれで今の自分に、何の知識が足りないのかが明確になり、意味のある事でしたが、その足りない知識を完璧に補っていくかは別です。修士課程の目標は2年間(実質的にはもっと短い)という期間で論文を書き上げるというものです。その期間で論文を書き上げるには、書くべきテーマや導かれる結論に集中し、割り切りや、諦めも必要かと思います。
実際にどうやって仕事と両立したか
社会人大学院生にとって、集中して研究する時間や論文を書く時間を確保するのが一番の問題です。それらの時間は基本、朝、夜、休日ですが、それに加えて授業を受け、その予習等にも時間を割かなければなりません。従って、効率的に、計画的に研究を進める必要があります。定期的に締め切りを設けて、部分的にでも指導教員に論文を見てもらう、毎日、数行でもいいから論文を書く等、動機付けや地道な工夫が必要です。1週間に3頁論文を書き進めれば、半年で70頁以上枚の論文が書けます。また、ここ2年間はコロナの影響により図書館等で集中してやれる状況ではなかったので、休日に会社の会議室に籠ったこともありました。
また、課題研究プログラムでも修士論文研究プログラムでも、どちらも「書く」作業の結果が最終的な成果物となるので、論文作成の方法・ルール・作法は独自に書籍等にて習得する必要があるでしょう。これは論文を書くだけでなく、文献を読むときにも参考になります。論文や課題研究レポートを書き始める前に必ずやっておくべきです。
また、通常の授業でも、毎回予習の段階で簡単でもレジュメを作成し、日頃から書く(文章の内容を要約し、感想、疑問等自分の考えを言葉にする)ことに慣れておくことです。要約は重要な個所の丸写しでも構いません。それによって、論文特有の言い回しや言葉使いなどが身に付きます。とにかく、書くことに慣れることが重要かと思います。
研究をしてみて、どのようなことが得られたか
研究の目的のひとつとして社会への貢献がありますが、社会人が大学院で研究する場合、2つのパターンがあるかと思います。ひとつは今まで自分が行ってきた仕事・業務分野において、他の研究者も知り得ない希少な知識や経験を持ち、それを活かして研究を行う場合。もうひとつは、特段、そのような仕事や業務分野ではなく、希少な知識や経験もない場合です。
前者はすでにテーマが明確であり、その分野における貢献度も高いと思いますが、だからといって、後者は何ら、貢献はないと思うのは違うと思います。私は今、企業で執行役員、子会社の取締役の立場でいますが、明らかに後者の方であり、今までの業務分野での知識や経験に特段、自慢できるものや、研究を通して直接的に社会的貢献ができるものはありません。しかし、社会人として働いてきた経験は各々、固有なものであり、それはユニークなものです。そのような経験と大学院で学び、研究したことと何らかの形でつながったとき、それは単なる知識や経験だけではなく、人格として蓄積され、将来、何らかの形で他への影響におよぶ行動として現れるのではないでしょうか。これもひとつの社会への貢献であり、大学院で学んだ社会人の使命とも思えるのです。そして修了後も大学院は過去のものではなく、常に「研究者」という目線で物事を見る。そういう意識を、大学院での研究はもたらしたと思っています。