- 2013年4月埼玉大学経済科学研究科博士後期課程入学
- 2016年3月修了
1.社会人にとっての博士論文
(1)博士論文とは何か
そもそも「博士論文とは何か」を考えてみます。「博士論文」とは、「学問の世界に対して新たな知見を加えることで当該分野の発展に貢献すること」です。「新たな知見」とは、「当該領域においてこれまで誰も記してこなかった、しかも学問的に価値のある業績」のことを意味します。
社会人が博士論文に挑戦する際に戸惑うのが、ここでいう「新たな知見」と「学問の世界」が意味するものであるかと思います。順番にお話していきます。
「新たな知見」とは、「誰もが経験したことのない自分独自の経験やそれに基づいた発想」であると、社会人は考えがちです。それは「修士論文」のレベルでは十分通用するものもあるかと思います。しかし博士論文で求められるのはあくまでも、「当該学問分野での貢献」としての「新たな知見」です。悪く言えば「自分の経験や思い込み」だけでは絶対に通用しません。そこに「修士」と「博士」の決定的な違いがあります。
社会人の博士(候補者)に求められているのは、「仕事の経験から得られた(専門の研究者では思いつかないような)独自の視点」です。換言すれば「経験そのもの」ではなく、「経験を基に得られた分析のための視点・枠組み」であると言えます。
(2)先行研究の重要性
「当該学問分野での貢献」のためには、自らが書きたいと思う分野で、これまでいかなる研究が蓄積させていたかを知らなければなりません。そのために行うのが「先行研究のサーベィ」です。修士論文でも先行研究の重要性は指摘されたかと思いますが、「新たな知見を加えることで当該分野の発展に貢献すること」が求められる博士論文では、その重要性は格段に高くなります。自分の研究がオリジナルであるか、新たな知見であるかは、先行研究のサーベィ、つまり自分が取り組もうとしている分野において過去にどのような研究があったかを調べることでしか立証できないからです。私も含めて、研究室の同僚の作業を見る中で、博士論文執筆の際に社会人が最初に戸惑うのは、先行研究のサーベィの必要性に対する理解です。「独自の経験と発想を持っている」と自負している社会人の方ほど、この時点での戸惑いは大きいような気がします。
(3)博士論文を書く際のスタンス
上記のことに鑑みるに、「社会人が博士論文を書く」ということは、勤務・従事している仕事とはまったく別の世界で活動するということを認識しておく必要があります。戦うフィールドは「ビジネスの世界」ではなく「アカデミズムの世界」です。そこで求められる資質は、「社会人大学院の修士課程」とはまったく異なるものであるということを理解した上で、博士課程に入学し、博士論文に取り組むべきかと考えます。
2.研究の方法
(1)研究会は「道場」
私が所属していた研究室では、通常のコースでのゼミ(修士課程及び博士課程)と、月に2回ほど土曜日に「労働研究会」が開催されていました。私が特に重視していたのは「労働研究会」です。労働研究会では論文の構想段階から具体的な構成や内容まで、できる限り報告することに努めました。馴らしてみれば、半期8回開催のうち、6回は報告していたと記憶しています。
研究会で報告する最大の目的は、指導教授や副査、さらには研究室の同僚から、自分の考え方に対するコメントを頂くことです。コメントを頂くことで自分が気づかなかった論点が明らかになったり、より深く追求すべき方向性が見えてきたりします。自分を鍛えるという意味で、研究会は学問の「道場」という位置づけをしていました。社会人には時間的な制約があるかと思いますが、可能な限り、ゼミや研究会で報告する機会を多く作るべきである、また報告のための準備をする時間を捻出すべきであると私は考えます。他者の客観的な意見を聞くことで、自分の知見も発展させることができるからです。また、博士論文は最終的には世に問うものですので、「ひとよがり」になることは避けるという意味でも、多くの人の意見を聞く機会を積極的に作るべきです。
(2)資料の収集
博士論文執筆に求められる必要資料は、修士論文よりもかなりハードルが上がります。文献資料であれば「これまで研究者は(ほとんど)使用してこなかった資料」、計量分析であれば「今まで使われてこなかった新規のデータ」の使用が求められます。それは「新たな知見」を生み出すために必要な要件であると、アカデミズムでは思われているからです。私の場合は歴史研究だったので、先行研究をサーベィした上で、これまで誰も使用していない資料を、図書館などでこまめに探す作業を3年間続けました。先述のように、博士論文は「自分の思い込み」ではなく、「先行研究を踏まえた、事実に基づいた新たな知見の提示」ですので、よい資料を収集できるかは論文の出来を左右します。この地道な作業を手抜きすることはできません。また必要に応じて、関係者へのインタビューも行いました。参考までに、計量分析を行っていた同級生の研究過程を見ていた感想をご紹介します。計量分析はデータが最重要で、いかに有用な、かつオリジナルなサンプルを入手できるかにかかっています。分析自体は市販の優れたソフトウエアで誰でもできる時代なので、その分、データの重要性が高まっています。データ収集にはかなりのコストと時間を要します。彼等は有用なデータを求めて、日本全国を回っていました。
また計量分析は、「やってみないとわからない」という怖さがあります。そもそもよいデータが集まるか否か、データを集めても分析が仮説通りになるか否か、という意味です。計量分析をやる予定の方は(もし予定年限で修了を希望されるのであれば)、入学前にデータ入手にある程度の目途をつけておくこと、データに基づく仮説検証を思考実験として十分に実施しておくことをお勧めします。
3.成果発表へのプロセス
(1)論文の指導体制
埼玉大学の博士課程は、1人の主査と2人の副査の3人による指導体制が組まれます。指導体制の編成は、主査との相談の上、入学後早い時期に決定されます。指導の方法は、学生により様々かと思いますが、特に主査とのコミュニケーションを密に取ることが基本であるかと思います。
主査からの指導を通じて、研究の方向性、現状での自分の考え、自分が現在保有する資料の有用性、今後の作業のスケジュールなどを確認し、論文の構想、構成を組み立てていきました。私の場合は主査と副査の1人が労働研究会の主催者であったことから、このような機会は比較的多かったかと思います。
2人の副査の先生方からも、「勉強会」という形で指導を頂く機会を何度か頂きました。あえて主査の先生のいない場で、主査とは異なる視点からコメントを多く頂き、論文の幅を広げるという意味で有用でした。
埼玉大学の先生方は、学生が積極的にやる気を示せば、必ず応えて下さいます。指導体制という面では、理想的な環境であったと思います。
(2)研究成果発表の機会①-課程1~2年
研究成果発表の機会はいくつかの段階があります。
博士課程1年では、学務に関しての公式の行事はありません。主査、副査と連絡を取りながら、資料の収集(図書館めぐり、インタビュー、データ検索、ネット検索など)や収集した資料を基にした論文の構想固め、さらには必要単位の取得に注力しました。先述したゼミや研究会が主たる研鑽の機会でした。
博士課程2年においては、10月に主査と副査による「中間報告会」が開催されます。ここでの目的は主として2です。1つは論文執筆のための本格的な作業を進めるための手順を確認することです。論文作成がスムーズに進むかの成否は、ここの段階で十分な体制を整えることができたか否かで決まると思います。もう1つは、埼玉大学経済学部の紀要である『経済科学論究』への投稿論文についての議論です。投稿論文は、博士号取得のための必須条件であり、同年11月末に締切りを迎えるので、ここで投稿論文の詰めを行います(ただし、すでに学術雑誌に査読付きの論文が掲載されている方は、この作業は不要です)。「中間報告会」はちょうど課程の折り返し点ですので、これ以降、論文作成は本格的な段階を迎えます。
ちなみに、『経済科学論究』は査読付きですので、掲載までに匿名の査読者とのやりとりが、4~5ヶ月程度かかります。査読者の判断によりここで掲載が見送られると、『経済科学論究』の発行は年1回ですので、論文の投稿は1年後にずれ込むことになります。そうなると、博士論文作成に加えて投稿論文作成の作業が加わりますので、3年時での負担はからり増加します。『経済科学論究』への投稿は、2年時で必ず完了させるようにすべきです。
(3)研究成果発表の機会②-課程3年前半
3年時では、学務の体制も論文完成に向けて本格的に動き始めます。
5月には、主査及び副査2名による公式行事としての「打ち合わせ会合」が行われます。その目的は、論文の方向性の最終確認です。2年間で学生が積み上げてきた成果を基にして、論文の全体像を形成すべく意見交換を行います。この場で合意された計画案をもとにして、いよいよ論文作成作業が本格化します。この年の私の夏休みはほとんど論文作成の作業に費やされました。
10月には、主査及び副査2名による第1回の学位論文報告会が行われます。この時点である程度、論文としてのまとまりができている必要があります。主査及び副査からの厳しい質問があり、それらから論文を防御(ディフェンス)しなければなりません。この時点で毎年、数人の脱落者が出ます。私の場合も、「このままでは年度内の提出は無理だ」という厳しい「駄目出し」をもらい、そこから逆転のための必死のドライブがかかりました。
(4)研究者は「方法論」で勝負する
挽回のためにここで今一度、原点に戻ります。社会人が博士論文を書く場合、職業研究者と同じフィールドで戦っても、研究職のような仕事をされている方を除けば、普通の社会人は太刀打ちできないことは、すでに申し上げた通りです。しかし博士の学位は、社会人だからといっても手加減して出してくれるわけではありません。独自のフィールドを社会人としての経験から見出し、新たな方法論を打ち立て、それに基づいてアプローチすることが、社会人が博士論文を書くことの意味です。博士論文を書く以上、社会人も「研究者」であらんとする者です。研究者は理系・文系を問わず、「方法論」で勝負する方々であり、社会人も例外ではありません。
10月の発表会から2ヶ月間、上記のことを徹底的に考え抜きました。「新たな/独自の方法論」と言っても、アカデミズムで勝負する以上、それは既存の研究方法との齟齬があってはなりません。そこで「学術論文の書き方」の本を改めて読み直しつつ、先行研究をさらに詳細に検討しながら、自分にしか言えないこと、できないアプローチは何かを念頭におきつつ、論文の再構成を進めました。
博士論文において最終的に問われるのは、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」ということです。その答えを探すために必要な手段が「独自の方法論」です。
(5)研究成果発表の機会③-課程3年後半
12月に学位論文報告会が開かれます。この時点での評価が、修了できるか否かに決定的な影響を与えます。この報告会から、これまでご指導頂いた3人の主査・副査に加えて、「4人目の審査員」が入ります。まさに「第三者」の立場からの審査を頂くわけです。審査は公開で行われ、誰でも参加することができます。
この場で問われるのは、論文中の詳細な疑問点もさることながら、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」、つまり「新たな知見を加えることができたか」です。「誰もやっていない新しいことをやった」というのは、一見意味がありそうなのですが、実はそれだけでは博士論文では評価の対象にはなりません。求められるのは、これまでの先行研究を踏まえて、新しい知見を学問の世界に加えることができたか否かということです。試験に通るためには、この問いに答えられなければなりません。
「誰もやっていない新しいことをやった」というのであれば、例えば「海外赴任中に内戦(クーデター)に巻き込まれた」という「経験」をそのまま書けば、「誰もやっていない新しいことをやった」ことにはなりえるでしょう。前述のように、求められるのはそれではなく、そのような「経験」を通じて得た「独自の方法論」に基づく「新たな学問的な知見」なのです。
12月の審査が通れば、翌年2月に「最終口答試験」に進みます。ここでは、12月の検討会で提出された質問や修正点に対する解答が求められますが、やはり最大のテーマは、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」です。ここでの意見交換を通じて、「博士論文執筆」という、学問のフィールドで論文を書くことの意味を再確認させられます。その意図は、埼玉大学の博士号授与の基準である「1人前の研究者として自立できること」に明確に示されています。
「最終口答試験」を通れば、その後、3月に教授会での投票が行われます。投票を通れば、博士(経済学)が授与されることとなります。結果はインターネットの学内掲示板で発表され、追って学位授与式出欠の案内が届きます。学位授与式が行われた2016年3月24日は、桜の花が印象的な晴天の日でした。
4.「学位取得」のその先
学位を取得したからといって、職場で昇進、昇格、異動があったわけではありません。
日本は「学歴重視社会」というよりは「学部偏差値重視社会」なので、特に文系では修士号以上の学位は「学問の世界」を除いては、ほとんど評価の対象とはならないのが実態です。そのような「世俗的な欲望」によって博士論文を書こうとするのは、コスト・パフォーマンスの悪い作業かもしれません。
私自身の博士論文を執筆しようと考えた動機は、1つは「自分のキャリアに対する1つの区切りをつけたい」ということ、もう1つは「目の前に山が見えるから登ってみたい」ということでした。では山に登って何が見えたのか。私に見えたのは、実はいくつかの「別の山」でした。それらはいずれも、私にとっては「登るべき山」に見えます。それらを無視して過ぎ去ることは私にはできそうにないので、今は「新しく見えた山」をいかにして登るかを思案している次第です。
その意味では、社会人でありながら博士論文を執筆しようという方の資質として大事なものは「そこに山があるから登ろう」と考えられることかと思います。たぶん登った先には、いままでに見えなかったものが見えるはずです。私に見えたものは「新しい山」でした。すべての方々にお勧めできることではありませんが、「新しい世界を見たい」「自分がこれまで見てきたことを新たな視点で見てみたい」と思われる方には、博士論文の執筆は挑戦しがいのある試みであるかと思う次第です。
埼玉大学大学院は、そのような方々の期待に応えてくれる体制を整えています。学校選びに悩まれている方は、埼玉大学を1度、何らかの形で訪れてみることを強くお勧めします。
※修了生の所属先は、原稿作成時のものです