なぜ大学院で研究しようと思ったか
社会人は日々の業務を通じて様々な経験や知識を得ている。しかしながら実際はその量が膨大すぎることや整理が不十分であるため、その大半が有効活用されていないのが実情である。経験や知識を明日への活力につなげるためには、定期的に「棚卸し」を行い体系立てて整理することが重要である。実際30代にも博士前期過程に挑戦し修士号を取得したが、その際にも蓄積された知識・情報を整理し、日頃の業務の論理的裏づけを行うことで、暗黙知が形式知化したことを肌で感じた。その結果、業務上自らの仕事を説明することや知識を伝承する上で大いに役立ったのである。この様な背景から40代の総括として博士後期過程に挑戦した。
どのようなテーマで研究をしたか
私の40代の業務における主担務はM&Aであった。デンマークでM&Aを実行した企業のPMIに参画し、その後日本の本社でM&Aの陣頭指揮を執った経験から、旅行企業におけるM&Aとその戦略との関係性を研究テーマとした。折しも入学前の2014年はパッケージ・ツアーの造成や販売など、総合的に旅行事業を運営する主要旅行企業による選択と集中に基づく大胆な戦略の発表があり、欧州旅行産業内に衝撃が走った年であった。この意思決定に至るまでには大小様々な企業買収や売却が実施されており、その戦略的背景を探ることにフォーカスしたのである。具体的には欧州主要旅行企業の史的研究を行い過去に実施されたM&Aを知ることで、その戦略的特徴と統合の有無及び程度などの特徴を導出した。
どのように研究が進んだか
研究は大きく3つの段階で進めた。情報収集・分析、仮説及びシナリオの設定、そして検証である。情報収集段階では埼玉大学が有するプラットフォームを活用し、先行研究や対象企業の年次財務報告書の収集を行い、その上で現状分析を行った。
次に現状を理解したうえで、ラフな仮説を設定し論文全体のシナリオを構築した。この際には指導教官との議論が実に有効であった。社会人学生は経験豊富ゆえに、その経験から結論に論理的な飛躍をする傾向にあり、そこにアカデミックバックグラウンドを有する主指導教官と議論を戦わせることで軌道修正するのである。まさにその過程は新しい発見の連続であった。さらに副指導教官によるサポート体制も極めて有効であった。主指導教官との議論を通じて暗黙の理解が深まったところで、新たな目線からの客観的な指摘が論文の改善を促す。このサイクルが研究を最終段階に向かわせたのである。
最後に検証作業であるが、事実の発見から結論の導出に至る過程は大学院という場があったからこその経験であった。結論を急ぐビジネス界の常識に対して、一つずつ丁寧に結論を導き出す作業は価値観が大きく異なったが、経験豊富な教授陣の指導によって完成に至った
実際にどうやって仕事と両立したか
正直極めてチャレンジングであった。通常の日本での仕事環境において、埼玉大学の熟慮されたプログラムであれば十分両立可能だと思う。しかしながら私の場合は在学中にスイス駐在辞令が出たことから両立はかなり困難であった。幸いにも発令のタイミングが論文のシナリオの大枠が固まった段階であったことに加え、指導教官がメール等での遠隔指導を快く受け入れてくれたことなど極めて柔軟な対応があったからこそ、両立できたと考える。結果的に駐在前後の半年の休学を余儀なくされたが、その後復学して博士号取得に至ったのは埼玉大学の社会人学生に配慮するカルチャーがあったからこそだと考える。
研究をしてみて、どのようなことが得られたか
自らが関わる旅行産業の歴史及びM&Aの変遷を理解することで、日々の業務と業界の全体像の把握することに大いに役立った。また史的研究から成功モデルの抽出ができたことで、日々の業務を進める上での大きな示唆となったことも事実である。そして蛇足ではあるが現在駐在する欧州のドイツ語圏においては博士号取得者に対する社会的な評価は相対的に高く、氏名欄にMr,Mrsの前にDr.欄があることからも明らかである。瑣末ではあるが、Dr.欄にチェックする時が博士号取得の喜びを感じる瞬間であった(笑)。